享保小判
Kyōhō Koban
- 系列
- 江戸小判(一両金貨)
- 額面
- 一両
- 時期
- 正徳5年(1715年)鋳造開始
更新: 2026-10-13
規格
変種・区分
実測佐渡で鋳造され享保小判に分類される個体(享保〈佐渡〉)が研究上区別され、実測は金 83.5〜85.4% とやや低い。[2]
歴史的文脈
事実江戸期小判の品位は、慶長期に85%前後の高品位で始まり、元禄期に50%台へ下落、宝永以降 80%台に復した後、元文から再び下落し、幕末の万延まで50%台にとどまった。[2]
事実幕府は小判の品位を一切公表しなかったため、当時の民間では正確な品位を知ることはできなかった。[2]
事実江戸幕府は、元禄の改鋳による物価上昇に対して、新井白石の提言により1714年慶長金銀と同品位に引き上げる改鋳を実施し(正徳の改鋳)、その結果、貨幣量は急激に減少し、経済活動の停滞と物価の下落をもたらした(貨幣博物館「日本貨幣史」)。[3]
事実幕府は、正徳の改鋳の翌1715年、小判の品位をさらに引き上げた(享保小判)。正徳・享保の改鋳は、江戸時代を通じ、金銀の品位を上げた唯一の改鋳である(貨幣博物館「日本貨幣史」)。[3]
事実江戸幕府は、正徳・享保の改鋳による米価の下落に対処し金銀貨の流通量を増やすため、1736年、金銀貨の品位を引き下げた(元文の改鋳)(貨幣博物館「日本貨幣史」)。[3]
製法
事実製造最終工程の「色揚げ」(表面の銀分を消失させ金濃度を高める処理)が古記録(吾職秘鑑)に残り、享保小判では色揚げによる重量減 0.063% が記録されている。[2]
真贋上の注意
解釈単独の特徴だけで真贋を断定できる手掛かりは知られていない。鑑定は複数の特徴と来歴の総合判断であり、第三者鑑定機関のグレードは状態評価であって歴史的帰属の証明ではない。本項は教育目的の識別情報である。
未解決の研究論点
解釈正徳小判との判別は「離れ光次」(光と次が離れた極印)による(戦後提唱・状況証拠)(詳細は参照資料)。[2]
解釈鋳造高・現存数について、確定的な一次記録は本記録の参照資料からは確認できていない。「分からない」を推定値で埋めない。
落札記録
この貨種と確認できた落札記録はまだありません。同じ種類全体の相場中央値をこの貨種の価格として示すことはしません。確認でき次第、オークションハウス・開催・日付・ロット・グレード・落札価格(手数料込/抜)・出典 URL・確認日を添えてここに掲載します。
参照資料
- [1]「貨幣博物館 常設展示図録(江戸の金貨・改鋳)」(日本銀行金融研究所 貨幣博物館) — https://www.imes.boj.or.jp/cm/collection/tenjizuroku/mod/book/pageindices/index43.html(参照日: 2026-09-02)
- [2]上田道男 「江戸期小判の品位をめぐる問題と非破壊分析結果について」(金融研究 第12巻第2号(日本銀行金融研究所)、1993) — https://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/kk12-2-4.pdf(参照日: 2026-09-02)規定品位比較(第1表)・実測量目(第3表)・電子線励起X線分析(第4表)・色揚げ重量減(第2表・吾職秘鑑)。内部引用は本論文経由の孫引き。
- [3]「日本貨幣史」(日本銀行金融研究所 貨幣博物館) — https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/content/index.html(参照日: 2026-10-13)近世「正徳・享保の改鋳」「元文の改鋳」の記述。取得文は /home/comboy/.agent/workspace/current/ittendou-a045-sources/04_imes-history-content.txt