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朝鮮通宝の表面。「朝鮮通宝」の四文字が方孔を囲んで刻まれた銅銭
古代・渡来貨幣古銭ストーリー2026年5月15日

朝鮮通宝 — 600年の銭貨空白を埋めた渡来銭の使命

室町から戦国へ、海を渡って日本市場を動かした異国の銅銭

対象貨幣: 朝鮮通宝

概要

朝鮮通宝は、李氏朝鮮の世宗5年(1423年)に鋳造が始まった銅銭である。方孔円形の外形に「朝鮮通宝」の四文字を刻んだこの銭が、朝鮮半島を越えて日本市場に流入したのは室町時代のことだった。日本では、皇朝十二銭最後の乾元大宝(958年)以降、約600年にわたって国産の官製銭が発行されなかった。この「銭貨空白期」を埋めたのが、中国の明から輸入された永楽通宝(1408年鋳造)と、朝鮮通宝などの渡来銭だった。古代貨幣の概説で皇朝十二銭の全体像が把握できる。

室町幕府は1500年代に「撰銭令」を発布し、質の悪い銭や破損銭の排除を試みたが、これは逆に渡来銭が市場に溢れていた証左でもある。穴銭・渡来銭の詳細および寛永通宝の詳細も参照されたい。寛永13年(1636年)に寛永通宝が正式鋳造されるまで、朝鮮通宝は日本経済の重要なインフラとして機能した。古銭オークションの基礎知識で現在の市場価値も確認できる。

基本スペック

額面
1文(推定)
鋳造期間
李朝・世宗5年(1423年)以降
金属組成
量目
約3.5g(推定)
寸法
直径約24mm(推定)
鋳造枚数
不詳(諸説あり)
鋳造責任者
李氏朝鮮政府
市場相場
数千円〜数万円(状態・種類による)

第1章 乾元大宝から朝鮮通宝へ — 600年の銭貨空白期

皇朝十二銭の最後・乾元大宝と朝鮮通宝の比較。形は似ているが刻字が異なる

天慶6年(943年)、日本で最後の皇朝十二銭・乾元大宝が発行された。それから約600年——日本には独自の公式通貨が存在しない「銭貨空白期」が続いた。これは決して経済活動が停止したことを意味しない。平安時代後期から鎌倉時代、南北朝時代、室町時代にわたる商業活動は確実に拡大していたが、その媒体は中国や朝鮮から輸入された渡来銭に完全に依存していたのだ。

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、宋との貿易が盛んになると、宋銭(渡来銭の主体)が大量に流入した。宋銭は「一文銭」として日本の市場に定着し、米の価格換算などに使われた。しかし宋が元(1271年〜)に滅ぼされた後、銭の輸入ルートは変化する。14世紀から15世紀にかけては、明(1368年〜1644年)が発行した永楽通宝(1408年鋳造)が主力渡来銭となり、日明貿易(勘合貿易・1401年〜)を通じて大量に輸入された。

このような歴史的背景の中、李氏朝鮮が世宗5年(1423年)に朝鮮通宝の鋳造を始めた。李氏朝鮮は1392年に高麗を滅ぼして成立した王朝であり、世宗はその第4代国王だ。世宗の治世(1418年〜1450年)は「ハングルの創製」(1443年)など朝鮮文化の黄金期であり、貨幣制度の整備もその一環だった。

朝鮮通宝は当初、朝鮮半島内の流通を主目的として鋳造されたが、朝鮮と日本との間の活発な交易(主に博多・対馬を窓口とする)を通じて、日本市場にも流入した。永楽通宝と並ぶ「信頼できる外来銭」として、朝鮮通宝は室町時代の日本の商業活動で重要な役割を果たすことになる。古代貨幣の全体像で皇朝十二銭から渡来銭時代への流れを確認しよう。

室町時代の日本では、地方の大名が独自の「撰銭令」を発布することもあった。これは、市場に出回る銭のうち、摩耗の激しいものや明らかに粗悪なものを排除する試みだったが、逆にこの政策の存在そのものが、当時いかに多種多様な渡来銭が流通していたかを示している。

第2章 室町の市と渡来銭 — 朝鮮通宝が動かした商業経済

室町時代の市場(楽市)の復元イメージ。商人たちが渡来銭で取引する

室町時代(1336年〜1573年)、日本の商業は飛躍的な発展を遂げた。応仁の乱(1467年〜1477年)などの戦乱で政治的安定は失われたが、逆に地方の自立化が進み、各地に市(いち)が立つようになった。定期市、楽市、門前市——多様な市が全国に展開し、商品の流通が活発化したのだ。この商業活動の媒体として欠かせなかったのが渡来銭であり、朝鮮通宝もその一翼を担った。

博多は対朝鮮貿易の最重要拠点だった。対馬の宗氏が朝鮮との外交・貿易を仲介し、朝鮮の銅銭・絹織物・陶磁器が日本にもたらされた。博多商人はこれらを内地に転売し、莫大な利益を得た。京都・堺・奈良など畿内の大都市でも朝鮮通宝は流通し、「確かな外来銭」として受け入れられた。

永楽通宝と朝鮮通宝の使い分けについては、史料による証拠は限られているが、地域や取引の種類によって使用される銭に差異があったと考えられる。永楽通宝は主に中国との貿易決済や大規模商取引に、朝鮮通宝は対朝鮮貿易や地方の日常取引に、それぞれ広く使われたと推察される。

戦国時代(1467年〜1590年頃)に入ると、戦国大名が領国内の貨幣政策に直接介入するようになった。例えば、甲斐の武田信玄は特定の銭を「悪銭」として流通禁止にしたり、逆に特定の外来銭を「良銭」として公認したりした。こうした政策の中で、永楽通宝と朝鮮通宝は良銭として扱われることが多く、信頼性の高い流通手段として機能し続けた。

一方、地方農村では依然として物々交換(米・布・大豆など)が主流であり、銭経済が完全に浸透していたわけではない。渡来銭の流通は、都市と主要交易路周辺に集中していた。しかし商業の発展とともにその範囲は徐々に拡大し、戦国時代末期には地方の大規模市場でも渡来銭を使った価格表示が一般化していった。穴銭・渡来銭の解説で、日本における渡来銭利用の詳細が確認できる。

第3章 戦国の終焉と寛永通宝の登場 — 渡来銭の終幕

江戸時代初期の寛永通宝と朝鮮通宝の並置。国産銭の整備が渡来銭を駆逐していく

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げると、日本の貨幣政策は新たな段階に入った。秀吉は金貨(天正大判・天正通宝)の発行を試み、金銀の貨幣体系を整備しようとした。しかし銅銭については、引き続き渡来銭が市場を支配する状況が続いた。

徳川家康が江戸幕府を開いた慶長8年(1603年)以降、幕府は全国的な貨幣制度の統一を目指した。慶長6年(1601年)から慶長小判・慶長一分金などの金貨、慶長丁銀などの銀貨が整備された。しかし銅銭については、寛永通宝が正式に全国規模での鋳造体制を整えるまで時間がかかった。

寛永通宝の歴史は複雑だ。「寛永通宝」の名称で最初に鋳造されたのは、寛永3年(1626年)に水戸で私鋳(民間鋳造)が行われたとされる。その後、幕府公認のもとで寛永13年(1636年)から本格的な官製鋳造が始まり、全国各地の鋳銭所で製造されるようになった。この時点から、渡来銭は急速に市場から退場していく。

江戸幕府は「日本国産の銭を使え」という方針を段階的に強化した。渡来銭の流通を制限する法令が発布され、市場に出回る銭の主役は寛永通宝へと交代していった。朝鮮通宝や永楽通宝は、法令上は引き続き使用可能な期間も長かったが、新しい寛永通宝の大量供給の前に、その存在感は急速に薄れていった。寛永通宝の詳細で国産銭復活の詳細が確認できる。

寛永13年(1636年)から約半世紀で、朝鮮通宝は日本市場の表舞台から姿を消した。約200年以上にわたって日本の商業を支えた渡来銭の時代は、ここに幕を閉じたのである。しかしその遺産は、日本の銭貨文化の基礎として、江戸時代以降の貨幣経済に静かに引き継がれていった。

第4章 現代の収集市場における朝鮮通宝の位置づけ

コレクションケースに並ぶ各種渡来銭。永楽通宝・朝鮮通宝・宋銭が並ぶ

現代の古銭市場において、朝鮮通宝はどのような評価を受けているのか。まず価格について言えば、状態や鋳造時期、入手ルートによって数千円から数万円の範囲が一般的な相場となっている。良品・美品(字体が鮮明で摩耗が少ないもの)は数万円以上の値がつくこともある。渡来銭全体の中では、宋銭(宋代の中国銭)や永楽通宝と並んで知名度が高く、初心者から上級者まで幅広いコレクターの対象となっている。

真贋鑑定の観点では、朝鮮通宝は比較的わかりやすい方だが、後世の模鋳品も存在する。字体の一貫性、銅の質感、方孔の形状、重量などが鑑定のポイントとなる。日本に流入した朝鮮通宝と、朝鮮本土で流通したものとでは、流通摩耗の差や銅合金の組成に違いが出ることもある(研究が続いている分野だ)。古銭オークションの基礎知識古銭グレーディングの基準を身につけておくことが、安全な取引の前提となる。

歴史的な観点から見ると、朝鮮通宝を収集することは、日本と朝鮮の歴史的な経済交流を手のひらで感じることに等しい。室町時代の博多商人が手にし、戦国時代の市で使われ、江戸初期に寛永通宝に道を譲った——その歴史の重みが、一枚の銅銭に凝縮されている。

さらに、渡来銭を体系的に収集するコレクターにとっては、朝鮮通宝は「日本の銭貨空白期を補完する存在」として、コレクションに欠かせない一品だ。皇朝十二銭・渡来銭・寛永通宝という流れで銭貨史を追うなら、朝鮮通宝はその中間期を代表する重要な存在となる。市場インデックスで現在の相場を確認することで、購入の参考にできる。

朝鮮通宝が日本の地で流通した室町から江戸初期の時代は、李氏朝鮮の世宗5年(1423年)から寛永13年(1636年)前後にかけての約200年間に相当する。この200年間、日本の銭貨経済は渡来銭なしには成立しなかった。その事実を物語る朝鮮通宝は、日朝経済交流史の生きた証人として、今も静かに語り続けている。

価値と希少性

朝鮮通宝の市場価値は、状態・時代・鋳造地によって大きく異なる。一般的な流通品の相場は数千円から数万円程度だが、字体が鮮明で摩耗が少ない美品は数万円以上の評価を受けることもある。渡来銭の中では比較的入手しやすい部類だが、優品は限られており、系統的なコレクションを目指すうえでは良品の確保が課題となる。

真贋については後世の模鋳品も存在するため、購入前には専門家への相談が推奨される。字体の一貫性、方孔の形状、銅の発色と質感、重量(約3.5g前後)が主な鑑定基準だ。古銭オークションの基礎知識を活用し、信頼できるオークションや古銭商を通じた入手が安全だ。

歴史的価値という点では、朝鮮通宝は「日本の銭貨空白期を支えた渡来銭」として独自の意義を持つ。皇朝十二銭の終了(958年)から寛永通宝本格普及(1636年以降)まで約700年の歴史的文脈の中で、この銭が担った役割は非常に大きい。単なる「外国のコイン」ではなく、日本経済史の一部として評価する視点が重要だ。穴銭・渡来銭の解説も参考にされたい。

まとめ

朝鮮通宝は、李朝・世宗5年(1423年)に生まれ、室町から戦国、江戸初期にかけての約200年間、日本の銭貨空白期を埋めた渡来銭の代表的存在だ。皇朝十二銭最後の乾元大宝(958年)から寛永通宝の普及(1636年以降)まで続いた長い空白期に、この異国の銭が日本市場のインフラとして機能した事実は、日朝経済交流の深さを物語っている。寛永通宝の詳細と比較すると、この歴史的連続性がより鮮明に見えてくるだろう。古銭の一枚に、600年の歴史が刻まれている。

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