
図版: 日本の穴銭(方孔銭) / As6022014 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0(出典)
永楽通宝の偽造と摘発 — 最も普及し最も偽造された銭
鎌倉から江戸にかけての偽造と取締りの歴史
対象貨幣: 永楽通宝の偽造と摘発
概要
永楽通宝は、中国明代の永楽帝時代に鋳造された銭で、その後日本に輸入され広く流通しました。日本国内においては、永楽通宝の普及度が高かったため、しばしば偽造の標的となりました。国内で銅を溶かして鋳造した「永楽写し」が大量に製造され、偽造品は本物より軽量で粗雑、色調も異なっていました。日本の大名や幕府は偽造の蔓延を防ぐため、繰り返し偽造禁止令を発布しましたが、それでも偽造品は流通し続けました。史実によると、出土品の分析では偽造率が3〜5割に達する遺跡もあります。このような背景から、永楽通宝の偽造と摘発は、日本の貨幣史において重要な位置を占めています。江戸金貨の種類と見分け方や偽物・加工品の見分け方と合わせて、日本の貨幣偽造の歴史を学ぶことができます。
基本スペック
- 額面
- 永楽通宝
- 鋳造期間
- 1400-1650年
- 金属組成
- 銅(諸説あり)
- 量目
- 約3.5g(偽造品は軽量)
- 寸法
- 直径約25mm
- 鋳造枚数
- 不詳(諸説あり)
- 鋳造責任者
- 不詳
- 市場相場
- 状態によるが数千円〜数万円
永楽通宝の普及と偽造の始まり — 1400年代

図版: 日本の穴銭(方孔銭) / Jean-Michel Moullec from Vern sur Seiche (35, Bretagne), France / Wikimedia Commons / CC BY 2.0(出典)
永楽通宝は、中国の明代、永楽帝(在位1402-1424年)の時代に鋳造が始まりました。永楽通宝はその名の通り、永楽の年号を冠しており、当初は中国国内で流通していました。しかし、日本では室町時代に入ると、明との貿易が活発化し、中国から多くの永楽通宝が輸入されました。特に1400年代後半、足利義満(在位1368-1394年)の頃には、永楽通宝は日本における主要な貨幣の一つとなっていました。日本における永楽通宝の普及は、まずその信頼性と流通量の豊富さにありました。これにより、永楽通宝は地方の市場や商人の間で広く使われ、信用のある通貨として受け入れられました。しかし、その普及度の高さゆえに、永楽通宝は偽造の標的にもなりました。日本国内では、銅を溶かして鋳造した「永楽写し」が数多く作られ、永楽通宝の偽造品が市場に出回るようになったのです。この時代、日本の経済は銭貨によって動いており、商取引においては銭貨の信頼性が重要でした。偽造品が流通すると、物価の安定に悪影響を及ぼすため、大名や幕府は偽造を取り締まる必要に迫られました。足利義満は、1405年に偽造銭の取り締まりを命じ、偽造品の没収を行いました。このようにして、永楽通宝の偽造が始まると同時に、その取り締まりも始まったのです。
偽造品の製造過程と技術 — 1500年代

図版: 日本の穴銭(方孔銭) / As6022014 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0(出典)
1500年代に入ると、永楽通宝の偽造はさらに組織化され、技術も向上しました。特に戦国時代には、各地の大名が独自に永楽通宝を鋳造し始め、これがいわゆる「永楽写し」と呼ばれる偽造品の大量生産を促しました。偽造品の製造には、まず銅を溶かして型に流し込む鋳造技術が用いられました。型は本物の永楽通宝を元に作られ、できるだけ似せるよう工夫されましたが、やはり本物と比べると粗雑な仕上がりになりました。また、偽造品は本物よりも軽量で、色調も異なることが多く、このため識者には見分けがついたとされています。偽造に関わったのは、地方の工人や鍛冶職人たちです。彼らは技術を駆使して、できるだけ本物に近い偽造品を作ろうとしましたが、使用する素材や技術に限界があり、質の悪さは否めませんでした。永楽通宝の偽造は、こうした職人たちの手により、地方の小さな工房で密かに行われていたのです。1500年代後半になると、織田信長(在位1568-1582年)や豊臣秀吉(在位1582-1598年)といった有力な大名が日本全土を統一する過程で、貨幣の統制が強化されました。信長や秀吉は、偽造品が経済に与える悪影響を警戒し、偽造銭の製造を厳しく取り締まりました。これにより、偽造品の製造は次第に減少しましたが、完全にはなくならず、密かに作られ続けました。この時代の偽造品の存在は、慶長小判の詳細でも語られる通り、後の貨幣制度にも影響を及ぼしました。
流通の実態と民衆の反応 — 1600年代初頭

図版: 貨幣の計量と両替の道具・金座銀座ゆかりの地 / Raskof / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0(出典)
1600年代初頭、江戸時代が幕を開けると、永楽通宝は依然として日本国内で広く流通していました。この時代、徳川家康(在位1603-1605年)が幕府を開き、経済の安定を図るために貨幣の規制を強化しました。家康は1604年に貨幣改鋳令を発布し、偽造銭の取り締まりを徹底しましたが、それでも偽造品は完全には根絶されず、特に地方では広く使用されていました。偽造品が流通する背景には、銭貨の流通量が不足していたことが挙げられます。地方の市場では、偽造品であっても使用できるのであれば価値があり、庶民はそれを受け入れるしかありませんでした。偽造品と本物の交換レートは、地域や状況によって異なりましたが、多くの場合、偽造品は本物の6〜7割程度の価値で取引されていたとされます。庶民にとっては、たとえ偽造品であっても、それが生活に必要な物資と交換できるのであれば問題はありませんでした。流通する偽造品の多さにより、物価が不安定になることもありましたが、庶民はその状況に順応し、工夫して生活していました。この時代、偽造品の流通は経済に混乱をもたらしましたが、それでも人々は日々の生活を営んでいました。江戸時代の貨幣制度と流通の実態については、江戸銀貨の詳細でも詳しく触れられています。
後世への影響と評価 — 現代の視点から

図版: 日本の穴銭(方孔銭) / As6022014 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0(出典)
永楽通宝の偽造問題は、後の日本の貨幣制度に大きな影響を与えました。特に江戸時代に入ってからの貨幣制度の整備は、永楽通宝の偽造に対する反省から生まれたともいえます。江戸幕府は、貨幣の安定供給と価値の信頼性を確保するため、金貨や銀貨の発行を増やし、偽造品の流通を抑制しようとしました。特に徳川家康の後継者である徳川秀忠(在位1605-1623年)や徳川家光(在位1623-1651年)は、貨幣制度の改革を進め、偽造品の取り締まりを強化しました。この背景には、永楽通宝の偽造が経済に与えた影響が大きかったためです。現代においても、永楽通宝はその歴史的価値から注目されています。特に偽造品の存在は、当時の技術や経済状況を知る手がかりとなり、考古学的にも貴重な資料です。また、穴銭の種類と見分け方を学ぶことで、当時の貨幣流通の実態をより深く理解することができます。永楽通宝の偽造問題は、貨幣の信頼性と経済の安定を考える上で、現代にも教訓を与えているのです。
価値と希少性
永楽通宝は、その普及度の高さから多くの偽造品が存在するため、現代でも市場に出回ることがあります。偽造品は本物と比べて粗雑な作りで、重量が軽く、色調が異なることが多いため、鑑定眼を持つコレクターであれば見分けることができます。しかし、永楽通宝そのものの歴史的価値は高く、特に本物の永楽通宝はコレクターにとって貴重な存在です。市場での価格は、状態や本物であるかどうかによって大きく変動し、数千円から数万円程度で取引されることがあります。永楽通宝の市場価値を理解するためには、古銭グレーディングの基準を学ぶことが有用です。また、偽造品であっても、その歴史的背景や製造技術を考慮すると、学術的価値を持つことがあります。このように、永楽通宝はその歴史と偽造の背景から、現代の貨幣コレクションにおいても重要な位置を占めています。
まとめ
編集部のまとめ
永楽通宝の偽造と摘発の歴史は、日本の貨幣制度の発展に重要な影響を与えました。偽造品の存在は、経済の不安定要因となり、その取り締まりが貨幣制度の改革を促しました。現代においても、永楽通宝はその歴史的価値から注目され続けています。歴史を学ぶことで、当時の社会や経済の実態を理解し、現代の貨幣制度の基礎を築いた教訓を得ることができます。この物語を通じて、貨幣の信頼性と経済の安定性の重要性を考えるきっかけとなれば幸いです。
Dealers
この古銭カテゴリを扱う業者
売却や査定を検討する際の参考に。いずれも実績のある貨幣商・オークションハウスです。