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一点堂
ITTENDO

宝永小判

Hōei Koban

系列
江戸小判(一両金貨)
額面
一両
時期
宝永7年(1710年)鋳造開始

更新: 2026-09-02

規格

項目種別出典
品位・量目(図録)84% / 9g / 1710年図録の値[1]
規定品位(金座史料)52.2勾位=84.29%史料の記載[2]
明治期布告値83.40%史料の記載[2]
実測(XRF・所蔵標本)82.1〜84.1%実測[2]

事実貨幣博物館 常設展示図録の記載は品位84%・量目9g(いずれも丸め値)・1710年。[1]

事実金座史料系列の規定品位(製造上の標準)は 52.2勾位=84.29%。勾位から百分比への換算は (44/勾位)×100。[2]

事実明治政府の系列(明治7年 太政官布告第93号)は 834.0‰(83.40%)を掲げる。文献規定・実測・明治期布告は別系列の値であり、一つの「正解値」へ統合しない。[2]

実測日本銀行金融研究所所蔵標本の非破壊分析(電子線励起X線分析・3点)では金 82.1〜84.1%・量目 9.30〜9.35g。[2]

歴史的文脈

事実江戸期小判の品位は、慶長期に85%前後の高品位で始まり、元禄期に50%台へ下落、宝永以降 80%台に復した後、元文から再び下落し、幕末の万延まで50%台にとどまった。[2]

事実幕府は小判の品位を一切公表しなかったため、当時の民間では正確な品位を知ることはできなかった。[2]

製法

事実製造最終工程の「色揚げ」(表面の銀分を消失させ金濃度を高める処理)が古記録(吾職秘鑑)に残り、宝永小判では色揚げによる重量減 0.16% が記録されている。[2]

真贋上の注意

解釈単独の特徴だけで真贋を断定できる手掛かりは知られていない。鑑定は複数の特徴と来歴の総合判断であり、第三者鑑定機関のグレードは状態評価であって歴史的帰属の証明ではない。本項は教育目的の識別情報である。

未解決の研究論点

解釈鋳造高・現存数について、確定的な一次記録は本記録の参照資料からは確認できていない。「分からない」を推定値で埋めない。

落札記録

この貨種と確認できた落札記録はまだありません。同じ種類全体の相場中央値をこの貨種の価格として示すことはしません。確認でき次第、オークションハウス・開催・日付・ロット・グレード・落札価格(手数料込/抜)・出典 URL・確認日を添えてここに掲載します。

参照資料

  1. [1]貨幣博物館 常設展示図録(江戸の金貨・改鋳)(日本銀行金融研究所 貨幣博物館)https://www.imes.boj.or.jp/cm/collection/tenjizuroku/mod/book/pageindices/index43.html参照日: 2026-09-02
  2. [2]上田道男 江戸期小判の品位をめぐる問題と非破壊分析結果について(金融研究 第12巻第2号(日本銀行金融研究所)、1993)https://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/kk12-2-4.pdf参照日: 2026-09-02規定品位比較(第1表)・実測量目(第3表)・電子線励起X線分析(第4表)・色揚げ重量減(第2表・吾職秘鑑)。内部引用は本論文経由の孫引き。