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一点堂
ITTENDO

富本銭

Fuhonsen

系列
古代銭貨
額面
時期
7世紀後半

更新: 2026-09-02

規格(確認済みの範囲)

項目種別出典
素材・出土(図録)銅・アンチモン合金/飛鳥池遺跡図録の値[1]

事実7世紀後半の銅とアンチモンの合金の鋳造銭で、飛鳥池遺跡(奈良県明日香村)から未完成品や鋳型・砥石・るつぼ・ヤスリなどの製造道具とともに大量に出土した(図録)。[1]

事実『日本書紀』の 683(天武12)年の「銀銭を用いることなかれ、銅銭を用いよ」の命令について、飛鳥池遺跡の発掘調査により「銅銭」=富本銭・「銀銭」=無文銀銭であることが明らかになった(図録)。[1]

歴史的文脈

事実図録自身が、都づくりのため貨幣として流通させたとする説のほかに、まじない用の銭貨(厭勝銭)とする説を併記している。流通貨幣か厭勝銭かは確定していない。[1]

実物の識別

事実外形が丸く中央に四角い穴のあいた円形方孔銭で、「富本」の銭文を持つ。[1]

変種・区分

解釈変種・書体分類は取得済みの一次資料からは確認できていない。

製法

事実銅とアンチモンの合金。飛鳥池遺跡から未完成品とともに鋳型・砥石・るつぼ・ヤスリなどの製造道具が出土しており、鋳造→仕上げの工程が実物で裏づけられている。[1]

真贋上の注意

解釈現存品のほとんどが発掘出土品として公的機関に収蔵され、市場流通はほぼ無い。市場で「富本銭」を称する品は来歴の検証が最優先である。単独の特徴で真贋を断定できる手掛かりは知られていない。

用語(日英)

事実厭勝銭(ようしょうせん)=まじない用の銭貨。図録は流通貨幣説と厭勝銭説を併記する。[1]

未確認事項

解釈「最古の貨幣か」という問いは、無文銀銭(7世紀半ば〜)との関係・流通性の評価に依存し、単純な断定はできない。当サイトは「終止符が打たれた」型の断定をしない。[1]

解釈量目・品位・鋳造高など、ここに記載のない項目は、参照資料からまだ確認できていません。確認でき次第、追記します。

落札記録

この貨種と確認できた落札記録はまだありません。近い種類の相場をこの貨種の価格として示すことはしません。確認でき次第、ここに掲載します。

参照資料

  1. [1]貨幣博物館 常設展示図録(無文銀銭と富本銭)(日本銀行金融研究所 貨幣博物館)https://www.imes.boj.or.jp/cm/collection/tenjizuroku/mod/book/pageindices/index17.html参照日: 2026-09-02