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title: "Kyōhō Koban — The High-Purity Gold Coin Born of Yoshimune's Reforms"
url: "https://ittendo.com/en/story/kyoho-koban"
site: "ITTENDO"
type: "story"
coin: "享保小判"
category: "江戸金貨"
published: "2026-09-01T08:03:01.632Z"
updated: "2026-09-01T08:03:01.632Z"
lang: "en"
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# Kyōhō Koban — The High-Purity Gold Coin Born of Yoshimune's Reforms

> The Elusive Koban That Shone During the Kyōhō Reform Era

## 諸元

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| denomination | 1両 |
| period | 1715年〜元文元年（1736年）（図録: 鋳造開始1715年） |
| metal | 金86.0% / 銀14.0% |
| weight | 約18g（日本銀行所蔵標本の実測 17.70〜17.75g） |
| size | 縦約43mm × 横約26mm |
| mintage | 不詳（諸説あり） |
| designer | 後藤家（金座） |
| market | 照合済みの落札記録が揃うまで提示しません |

## 概要

享保の改革を進めた8代将軍、徳川吉宗は、財政再建の一環として享保小判を鋳造した。吉宗はそれまでの元禄小判に比べ、金純度を大幅に引き上げ、貨幣の信頼性を回復しようと試みた。1715年（図録）に鋳造が開始され、金の純度は約87%（図録）と高く、量目は約18g（図録）で、[慶長小判の詳細](/story/keicho-koban)よりも軽量化された。これは、改革の一環として経済の安定と信頼性を取り戻すための重要な措置であった。吉宗の政策は、江戸時代における貨幣の信頼性を再構築する試みとして評価されている。享保小判は現存数が少なく、収集市場では非常に価値のあるプレミア品として扱われている。これは、江戸金貨の中でも特に注目される存在であり、その歴史的意義は今なお色褪せない。

## 第1章: 吉宗の登場と享保の改革

享保の改革は、8代将軍徳川吉宗によって導入された一連の政策改革で、財政再建と幕政の刷新を目指したものだった。吉宗が将軍に就任したのは享保元年（1716年）。当時、幕府の財政は逼迫しており、元禄時代から続く貨幣の品位低下が原因の一部とされていた。吉宗はこれに対応し、貨幣の信頼性を取り戻すことを重要な課題と考えた。幕府は貨幣改革として享保小判の鋳造を始めた（鋳造開始は1715年・図録）。吉宗はこの高品位路線を堅持することを決定。金純度を元禄小判の56.4%から86.0%へと大幅に引き上げた。この改革は、多くの反発を受けつつも、幕府の信頼を回復し、経済の安定を図るための重要な一歩だった。吉宗は特に金座の後藤家にこの任務を委ね、鋳造の技術的な支援を受けた。この過程で、江戸の貨幣政策は大きく転換し、経済の健全化を促進するための基盤が形成された。享保の改革による貨幣政策は、江戸時代の経済史において重要な位置を占め、[江戸金貨の種類と見分け方](/coinpedia/edo-gold-001-overview)にも大きな影響を与えた。改革の中で、吉宗は緊縮財政を進め、無駄を省くことで経済の健全化を図った。享保小判はこの時代の象徴であり、その高い金純度は今なお歴史研究において注目されている。

## 第2章: 享保小判の鋳造と技術革新

享保小判の鋳造は、江戸幕府の金座が主導した。金座を任された後藤家は、伝統的な鋳造技術を駆使しながら、金の純度を高めるための新しい技術革新に挑んだ。享保小判の鋳造は1715年（図録）に始まり、幕府の貨幣政策の中核を担った。この小判の金純度は86.0%で、元禄小判の56.4%から大幅に引き上げられた。この決定は、金座の後藤庄三郎を含む技術者たちの尽力によって実現された。金座は江戸の中央に位置し、そこで鋳造された小判は幕府の権威を象徴するものであった。技術的な革新は、金と銀の配合を最適化し、金の純度を保証するための新しい分析技術を導入することを含んでいた。このため、技術的な試行錯誤が行われ、様々な実験が繰り返された。享保小判の鋳造はまた、金の供給源である佐渡金山の生産能力に依存していた。吉宗は金山の効率化を進め、金の安定供給を確保するための政策を打ち出した。このような背景の中で、享保小判は幕府の信頼を回復し、経済を安定させるための重要な役割を果たした。鋳造技術の革新と経済政策の一体化は、[小判の種類と相場](/coinpedia/edo-gold-002-koban-types)における重要な転換点を示した。享保小判は、技術者たちの努力と吉宗の政策が結実した結果であり、江戸時代の経済史においてその意義は計り知れない。

## 第3章: 流通と経済への影響

享保小判の登場は、江戸時代の経済に大きな影響を与えた。鋳造が始まった1715年（図録）以降、金の純度が高かったことで、小判は市場での信頼性を取り戻し、商取引の安定化に貢献した。市場では、享保小判はすぐに高い価値を持つ通貨として受け入れられ、その高純度により、交換レートも安定したと言われている。当時の江戸の町では、物価の安定が重要な課題であったが、享保小判の流通により、通貨の価値が相対的に上がり、物価の急騰を抑える効果があった。享保小判の流通は、商人や農民にとっても非常に重要であり、日常の商取引や農産物の売買において、公正な交換手段として機能した。特に、農村部では貨幣経済の浸透が進み、物々交換からの脱却が促進された。享保小判は、その高い金純度から、貯蓄手段としても用いられ、資産としての価値が認識された。このような背景から、享保小判は、[江戸銀貨の詳細](/coinpedia/edo-silver-001-overview)と共に、江戸時代の経済基盤を支える重要な通貨として歴史に刻まれている。享保小判の流通によって、幕府の財政安定化が進み、経済全体の信頼性が高まったことは、当時の庶民にとっても安心感をもたらした。

## 第4章: 後世への影響と評価

享保小判は、その後の日本の貨幣史においても重要な影響を与え続けた。吉宗が享保の改革を通じて実施した高純度小判の鋳造は、貨幣の信頼性を取り戻し、後の幕府の経済政策の指針となった。享保小判の存在は、その後の改鋳や新たな貨幣の鋳造においても基準とされ、例えば、幕末の万延小判に至るまでの貨幣制度の進化に影響を及ぼした。享保小判は、その後の貨幣と比較しても、高い金純度を誇るため、収集家にとって非常に価値のある対象となっている。現存する享保小判は非常に少なく、その希少性は市場でのプレミアム価値を生んでいる。享保小判の評価は、単に金貨としての価値だけでなく、江戸時代の経済政策や社会的影響を示す歴史的資料としても高く評価されている。現代においても、[古銭オークションの基礎知識](/coinpedia/basics-007-auction)において享保小判は特に注目される品であり、その価値は今後も高まることが期待される。享保小判は、江戸時代の貨幣制度の変遷を理解する上で欠かせない存在であり、その歴史的意義は、今なお多くの研究者や収集家によって探求され続けている。

## 価値と希少性

享保小判は、その高い金純度と稀少性から、現代の収集市場で非常に価値があるとされている。特に、保存状態が良好で鋳造当時の痕跡を残しているものは、さらに高価で取引されることが多い。享保小判の収集家や投資家にとって、その希少性は魅力的であり、歴史的価値も相まって、コレクションの中心に置かれることが多い。この小判の価値は、単なる金の価値を超えて、江戸時代の貨幣政策の証としての意義を持つ。享保小判は、吉宗の改革の象徴であり、[偽物・加工品の見分け方](/coinpedia/basics-004-fakes)においても特に注意が必要な対象である。収集市場では、そのオリジナリティを確認するための詳細な鑑定が行われ、歴史的価値と共に評価される。享保小判の市場価値は、今後の歴史的研究や新たな発見により、さらに高まる可能性がある。江戸時代の経済史におけるその重要性は、今なお多くの人々を魅了してやまない。

個別の価格・落札事例は、照合済みの記録（開催・ロット・出典URL・確認日つき）が得られたものだけを市場記録に掲載する方針です。

## 結び

享保小判は、徳川吉宗による享保の改革の象徴として、江戸時代の貨幣制度において重要な役割を果たした。高い金純度により、信頼性を回復したこの小判は、幕府の財政安定化に寄与し、経済の安定をもたらした。享保小判の歴史的意義は、単なる通貨としての価値を超え、江戸時代の経済政策や社会の変革を物語る重要な証拠である。現代においても、その希少性と歴史的背景から、収集家や研究者にとって貴重な対象であり続けている。享保小判の存在は、日本の貨幣史における重要な一章を形成し、その価値は今後も色褪せることなく、未来に語り継がれるだろう。私たちが享保小判を通して学ぶことは、歴史の中での貨幣の役割と、その背景にある政策や社会の動きである。これからもその価値を再発見し、次世代に伝えていくことが求められている。
