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title: "Jōgan Eihō — The End of the Twelve Imperial Coins and Economic Transformation"
url: "https://ittendo.com/en/story/jogan-eiho"
site: "ITTENDO"
type: "story"
coin: "貞観永宝"
category: "古代銭"
published: "2026-08-16T08:01:15.388Z"
updated: "2026-08-16T08:01:15.388Z"
lang: "en"
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# Jōgan Eihō — The End of the Twelve Imperial Coins and Economic Transformation

> Ancient coins issued in Jōgan 12 (870) marking a turning point in Japanese economic history

## 諸元

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| denomination | 不明 |
| period | 貞観12年〜（870年〜890年） |
| metal | 銅 |
| weight | 不明 |
| size | 径約22mm |
| mintage | 不詳（諸説あり） |
| designer | 不詳 |
| market | 10,000円〜50,000円（状態による） |

## 概要

貞観永宝は、貞観12年（870年）に発行された日本の古代貨幣であり、皇朝十二銭の第9番目として知られています。この貨幣が発行された背景には、当時の日本社会における経済的混乱がありました。絹や布、米が銭の代わりとして流通し、貨幣の価値が揺らいでいた時代に、政府は貞観永宝を通じて経済の安定を図ろうとしました。貞観永宝の「永宝」という名称には、永続的な流通を願う意図が込められていたとされますが、実際の流通は限定的でした。翌世紀には貨幣発行が途絶えることとなり、この時期は日本の古代貨幣史における重要な転換点となりました。このような背景を持つ貞観永宝は、古代貨幣の中でも特に興味深い存在であり、現在でもコレクターや歴史愛好者の間で注目されています。[古代貨幣の概説と魅力](/coinpedia/kodai-001-overview)を参照して、より深くこの時代の貨幣の歴史を学ぶことができます。

## 第1章: 貞観永宝の発行背景 — 政治と経済の狭間で

貞観12年（870年）は、日本の古代史において一つの大きな転換点でした。第56代天皇、清和天皇の治世下で、藤原基経が摂政として実権を握っていました。彼は天皇家と藤原氏の権力基盤を強化するため、経済政策に力を入れていました。この時代、日本の経済は混乱を極めており、銭の価値が低下し、地方では絹や布、米が事実上の通貨として使われるようになっていました。特に地方自治体では、税収が絹や布で納められることが多く、政府は財政難に直面していました。こうした背景から、貞観永宝は皇朝十二銭の第9番目として発行されました。「永宝」という銘は、永続的に流通することを願う意図が込められていたとされています。しかし、実際には地方での流通は限定的であり、政府の思惑通りにはいきませんでした。発行された貞観永宝の数も不明であり、諸説ありますが、当時の経済状況を考えれば、発行枚数は少なかったと考えられます。貞観永宝の発行は、政府が貨幣経済を安定させようとする試みであり、その背景には政治的な思惑も絡んでいたのです。これにより、貞観永宝は日本の古代貨幣史において重要な位置を占めることとなりました。

## 第2章: 貞観永宝の鋳造プロセス — 技術と関係者の努力

貞観永宝の鋳造は、当時の日本における高度な技術と労働力を結集した結果でした。鋳造は、平城京に設置された鋳銭司という役所で行われました。この役所は、銅の採掘から鋳造までを一手に担い、国家の財政を支える重要な機関でした。鋳造に携わったのは、技術者や労働者たちで、彼らは中国から伝わった技術を基に、独自の工夫を加えていました。貞観永宝の素材は主に銅で、これに少量の鉛や錫が加えられていました。この合金は、銅の強度と耐久性を保ちながら、加工しやすくするためのものでした。銅は、現在の岡山県や兵庫県から採掘され、鋳銭司に運ばれました。鋳造の過程は、まず銅を溶かして金型に流し込み、硬化させるというものでした。金型には「貞観永宝」の文字が刻まれており、これは高温で焼き付けることによって、銭の表面に美しく浮かび上がりました。鋳造には大量の燃料が必要だったため、周辺の森林が伐採されることもありました。こうした自然資源の消費は、後の時代に環境問題を引き起こす原因ともなりました。鋳造に携わった人々は、国家の命運を背負いながら、日々の作業に励んでいたのです。貞観永宝の鋳造は、彼らの努力と技術の結晶であり、その結果として、今日の私たちが手に取ることができる貴重な文化遺産となりました。

## 第3章: 貞観永宝の流通と経済への影響 — 経済の揺れ動き

貞観永宝が発行された後、その流通は一部の地域に限定されました。当時の経済状況は非常に不安定で、銭を用いた取引が円滑に行われることは少なく、むしろ絹布や米が主要な交換手段として使われていました。地方では特に、銭の流通が限られており、貞観永宝の受け入れも限定的でした。例えば、現代の奈良県や京都府に相当する地域では、貞観永宝の流通が比較的行われていたとされていますが、地方の農村部ではその存在すら知られていなかったこともあったようです。このような状況下で、貞観永宝は都市部の市場や貿易において主に使用されましたが、地方においてはあまり流通しなかったと考えられています。[和同開珎の詳細な解説](/coinpedia/kodai-002-wado-kaichin)も参照して、他の古代貨幣の流通状況と比較することができます。貞観永宝の発行によって、政府は経済の安定化を図ろうとしましたが、実際にはその影響は限定的であり、物価の安定化には至りませんでした。これにより、政府は貨幣の発行を続けることが難しくなり、最終的には翌世紀に貨幣発行が途絶えることとなったのです。貞観永宝の流通と経済への影響は、日本の貨幣史における重要な教訓を残しました。

## 第4章: 貞観永宝の後世への影響 — 歴史の流れに残した足跡

貞観永宝は、その発行から約20年後には流通がほとんど途絶え、次の世紀には完全に貨幣発行が止まることとなりました。しかし、その影響は後世にわたって続きました。まず、貞観永宝は日本の貨幣史における皇朝十二銭の一部として、後の貨幣制度に影響を与えました。貞観永宝が発行された背景には、経済の安定化と中央集権化を進めようとする政府の意図があったため、これらの試みは後の時代の政策にも影響を及ぼしました。特に、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、中国からの輸入貨幣が再び流通することになり、日本国内での貨幣発行はほとんど行われなくなりました。これにより、日本の貨幣制度は大きく変化し、中国との貿易や経済交流が活発化しました。また、貞観永宝はその希少性から、考古学的価値が高まり、発掘調査によって得られる情報は、当時の経済や社会状況を知る手がかりとなっています。貞観永宝は単なる貨幣ではなく、日本の歴史における重要な転換点を示す象徴として、後世に語り継がれているのです。こうした観点からも、貞観永宝は日本の貨幣史において重要な位置を占め続けています。

## 価値と希少性

貞観永宝は、発行から約1150年が経過した現在でも、コレクターの間で高い人気を誇っています。特に、良好な状態で保存されている貞観永宝は希少であり、古銭市場において高値で取引されることがあります。市場価格は状態によって異なり、10,000円から50,000円程度で取引されることが一般的です。貞観永宝の価値は、その歴史的意義と希少性に基づいており、古代日本の貨幣制度を研究する上で重要な資料となっています。[古銭オークションの基礎知識](/coinpedia/basics-007-auction)を参考にすることで、オークションでの取引価格や注意点を知ることができます。また、貞観永宝の希少性は、発行枚数が不明であることにも起因しています。発行当時の経済状況や流通の限定性から考えても、現存する貞観永宝の数は限られていると推測されます。このため、コレクターや古銭愛好家にとって、貞観永宝は非常に価値のある収集対象となっています。貞観永宝を手に入れることは、古代日本の歴史に触れる貴重な機会であり、その希少性ゆえに市場での注目度は高まるばかりです。

**関連ガイド:** [相場チャートで価格推移を確認する](/market/index) / [古銭グレーディングの基準](/guide/grading)

## 結び

貞観永宝は、その発行背景から鋳造、流通、そして後世への影響に至るまで、日本の古代貨幣史において特異な位置を占める存在です。870年に発行されたこの貨幣は、当時の経済的混乱を背景に、政府が経済の安定化を図るための試みとして産み出されましたが、その影響は限定的でした。しかし、貞観永宝が残した足跡は、後の日本の貨幣制度や経済政策に影響を与え続け、考古学的にも貴重な資料となっています。現代における貞観永宝は、コレクターや歴史愛好家にとって希少価値の高い収集品であり、その市場価値は今後も高まり続けることでしょう。日本の貨幣史に興味を持つ方々にとって、貞観永宝はその魅力を探求する絶好の機会であり、古代の経済や社会を理解するための貴重な窓口でもあります。
